青木幸太/カタリヤ

他愛もない与太話を

僕が「いじめ」について思うこと

僕を知っている方も知らない方もこんばんは。京都でシンガーソングライターをしている青木幸太です。

 

今回は僕の過去を少し出して、昨今度々話題になる「いじめ」について書きたいと思います。

 

きっかけはTwitterでいじめに対して芸能人が放った言葉とそれに対する考え方を目にしたこと。どうしても僕の考え方を言っておきたくなったのです。

 

僕はどっちかで言うと「いじめられる側」だろうなと思います。実際、中学生のときは軽くいじめられてたようなもんだったし、高校生のときは蔑ろにされたり、いじめられるのを怖がって自ら独りぼっちになったりもしました。今思えば、高校生の時の方が若干楽しかった気がします。

 

今でこそ、そこそこに人付き合いもできるようになったし(大学に入ってからの先輩、後輩、友人各位には頭が上がらない)、人を信じることができるようにも少しはなりました。それでも騙されたり、裏切られたりするのは(慣れていても)今でも怖いし、陰でコソコソされるのは嫌いです。

 

僕の場合、いじめの程度が軽かった(多分)からこれで済んでるんだと非常に思います。もっと酷いことをされていたら今の僕ではあり得ないと声を大にして言いたいのです。

 

綺麗事などではなく、「いじめ」というのは本当に被害者の後々の考え方、生き方に影響を及ぼすものだと私は言いたいのです。そして、悲しいかな、加害者はこれに気づくことは決してありません。

 

僕が「いじめ」に対して、嫌悪と憎悪を抱くのもこれが理由なんだと思います。

「被害者が死ぬほど泣いている」のに

「加害者が死ぬほど笑っている」ことが

この上なく嫌なんだろうなと思います。

 

僕は「すくい歌人」と二つ名を名乗っておりますが、最近、気安く他人を励ましたり、他人に「諦めんな」なんて言えなくなったりしています。その人の心を壊してしまいそうな気がするからです。

 

逃げ口上と言われても仕方ないでしょうが、結局、他人の心だの感情だのといったものは僕には分からない、分かるはずもないのです。それは僕だけじゃなく、この記事を読んでくださってる方も同じことだと思います。他人を完全に、完璧に把握するなんて不可能なことだと思います。

 

しかしながら、多くの人は心折れそうな、あるいはもう折れてる人間に対して、「頑張れ」とか「諦めんな」とか無責任に言うわけです。そんなことは僕には出来ません。出来るような人間じゃありません。ただ、その人のしたいようにさせるしかないのです。僕は他人の人生に責任など取れません。

 

ある人が僕に「青木は強いなぁ」って言いました。僕は別に強くなんてない。普通の人と同じように傷つきます。ただ心の傷の回復が少し早いだけです。でもそれは中学生・高校生時代での心の傷の痛みに慣れてしまってるだけだからです。

 

僕はもう、傷つくのは痛いけど怖くない。

 

もし、この記事を読んでくださっているあなたが、いじめられている人なら、どうか僕みたいに「傷つくのは怖くない」なんて言わないで欲しいです。

 

もし、この記事を読んでくださっているあなたが、いじめている人、ただ見ているだけの人なら、どうか、僕みたいに「傷つくのは怖くない」なんて言う人をこれ以上生み出さないで欲しいです。

 

僕からのお願いを読んでいただけたところでお別れにしましょう。

 

また、いつか、どこかでお会いしましょう。

初東京ライブ@新宿FATE

僕を知ってる方も知らない方もこんにちは。京都でシンガーソングライターをやっている青木幸太です。

これを書いてる今は東京から京都に戻る電車の中です。青春18切符を使ってゆっくり帰ってます。

 

ということで、今回は「初東京ライブ」の感想でも書こうかと思います。

 

そもそも何故東京でライブができたのかなんですが、2ヶ月前に東京のライブハウス、新宿FATEの人たちを京都VOXhallに迎えての交流試合に出演したのがきっかけでした。今度はこっちから出向いての試合でした。

 

で、感想ですね。楽しかったですよ。日本の中心東京で歌えたことがすごく嬉しかったし、楽しかったです。まだまだ修行の足らなさも思い知らされました。

 

歌い始めてから「歌」に関する指摘はたくさんもらってきたけど、根底を覆すような指摘「ボーカルとしての喉ができていない」は初めて言われました。少しへこみます。へこんでる暇なんかないわけですが。

 

ただ思い返してみれば今まで「歌」の練習で重きを置いていたのは「音程」だったし、最近はその成果も少しは出せるようになってきた(まだまだ甘いですが)と思っていましたが、根本的な「喉」はそんなに鍛えられてなかったんだなとか思うわけです。1曲ごとの終盤やライブ終盤で力がヘタってきてたのもここに関係するのかなと思ったりします。

 

ということで、これからの課題は一つ増えて

・細かい音符でのピッチキープ

・ギターストロークの引き算

・ボーカルとしての喉づくり

と大まかに分けて3つになりました。

 

まだまだ修行の途中、心折れることも少しはありますが、ライブを重ねるにつれて上に行くための階段みたいなものが見えてきて嬉しくもあります。

 

上への階段、焦んなくていい、1歩ずつマイペースに上がっていけばいい。多分、僕の尊敬する先輩たちもそうやってるんだろうなと信じて僕も追いかけていければと思います。

 

ちなみに、また東京に行きます。次回東京は12/05、場所は同じ新宿FATEで、3ヶ月でも変わってみせる。

 

私は、チャンピオンではなく、いつだってチャレンジャーなのだから。サレンダーなんかしない。

 

今回は、ここまで。また、いつか、どこかでお会いしましょう。

朝焼けのベランダ/月の部屋/夕焼けの玄関口

僕を知ってる方も知らない方もこんばんは。

今回は一挙に3曲紹介しようかなと思います。

 

1曲目は知ってる方も多いであろう『朝焼けのベランダ』。フジファブリックの『虹』に似ているそうです。

 

この曲が生まれたのはちょうど2年前。時期は元カノ(僕にもいたことがあるんですねえ!)と別れ、それはまあ、たいそう落ち込んでるときに、鬱屈とした気分からなんとか自分で立ち直ろうとして生まれた曲です。

それもあってすごく前向きに聞こえる曲です。ただ、当時から僕は口が裂けても他人に「頑張れ」とは言えなかったみたいなので、結局誰かに向けたメッセージソングとかそう言うわけではありません。ただ自分に向けた曲です。

 

ただそんな曲でも好きって言ってくれる人がいるのが嬉しく思えます。そんな人たちがいてくれるから、今でも僕のライブの切り札的な曲です。

 

しかもこの曲、タイトルをつけるのにもあまり時間がかからなかったような気がします。なぜか頭に染み付いていたCHAGE and ASKAの『モーニングムーン』のワンフレーズがそのままタイトルになりました。

 

2曲目は『月の部屋』。はっきり言います。ライブでやったことありません。それ故に未発表の作品です。

 

この曲は『朝焼けのベランダ』よりも少し早く完成してました。すごく対照的な曲で、前向きにならず、ただ当時の自分の鬱屈とした感情をそのままに歌った歌です。いつかやれたらなと思って結局やらないままにしている曲です。『朝焼けのベランダ』の影に隠れてしまって、誰も知らない、僕だけが知ってる曲です。

 

最後の曲は『夕焼けの玄関口』。生まれたのはつい最近の出来事です。やけに眩しくて綺麗な夕焼けを見て、今でこそ綺麗だと少しは思えるけど、2年前の僕はこの景色を綺麗だと思えたのかなと疑問に感じて書きました。

 

この曲もどちらかと言えば『月の部屋』に似ています。まあ、『朝焼けのベランダ』なの対照曲として作ったので当たり前ですね。

ただ結局のところ、あの日の僕の感情を思い出せるのは、未だに失恋の傷が癒えていないからかもしれません。

 

あまり触りたくない傷跡に触って生まれた曲をぜひ聴いて欲しいと思う今日この頃です。もし少しでも聴いて見たい方がいらっしゃれば、ライブに足をお運びいただけたらなと思います。ライブ詳細はHPを参考にしていただければと思います。

 

では、また、どこかでお会いしましょう。

今日、8/6という日

僕を知ってる方も知らない方もこんばんは。

今回は今日という日を、0時を回ったので今は8/7ですが、眠るまでがtodayと定義して、僕が「8/6という日」について思うことを綴ろうと思います。

 

73年前の今日、1945/08/06という日は、人類史上最悪を更新した日でしょう。世界初の原子爆弾投下。場所は広島。こんなことは誰もが知っている(と信じたい)ことです。

 

念のために言っておきますが、私の生まれは福岡県久留米市です。はっきり言って広島とは縁もゆかりもありません。

 

では、そんな僕にとって、なぜ08/06という日が特別なのでしょう。

 

あれは僕が小学校1年生の時です。08/06は夏休みの真っ只中でしたが、その日は出校日でした。僕の故郷では、08/04にお祭りを見て、08/05に花火を見て、08/06が出校日というのがお決まりでしたが、そのお決まりを初めて経験した年でした。

 

久しぶりに学校に行った当時の僕はウキウキしていたと思います。ですが、学校に着いて目にしたものは数週間前に見ていた学校とは違う学校でした。

 

壁の所々に貼られた原爆の犠牲者たちの生々しい写真を前に当時の僕は思わず足がすくんでいたと思います。あの時、1番最初に目にした写真は確か背中一面に火傷を負った郵便局員の人の写真だったと思います。

 

いつもと違う「何か」と恐怖を感じながら教室に入り、夏休みの宿題の交換をして、先生のお話をちょっと聞いた後、1本のビデオを見ました。

 

そのビデオは『おこりじぞう』でした。ラストで幼い女の子がお地蔵様の前で原爆に倒れ亡くなり、お地蔵様の優しい顔は原爆の熱で怒ったような顔になり、その顔を見た人が女の子の死を悲しんでいました。

 

この日以来、僕は出校日というのが嫌いになりました。分かっていても決して慣れることのない「恐怖」が学校にあったからです。今でも覚えているほどの強烈な恐怖です。

 

今日の朝、いつもより少し早く起きて、広島の式典を見ました。いつものことです。3年前、学生の頃はこの時期に広島原爆に際しての歌も作りました。その翌年には長崎原爆に際しての歌も書きました。

 

たまにいます。戦争をモチーフにしただけで思想のレッテル張りをしてくる人がいます。

 

別に、意に介するわけではありませんが、僕個人は戦争はしてもいいと思っている人間です。ただ、できることなら最後の手段であってほしいと思います。

 

これと似たような人で、この日を引き合いに死のうとしてる人を止めにくる人がいます。

 

確かにいました。「生きたくても生きることができなかった人」がいました。ただ、その人たちを引き合いに、苦しむ人間を生み出す権利が誰にあるのでしょう。

 

最近、僕は他人に対して、気安く「頑張れ」とか「諦めるな」とか「死ぬな」とか言えなくなってきたように思います。希望のある歌なんて尚更作れません。どこか嘘っぽく聞こえてしまうのが嫌いだからかもしれません。

 

どこまでもリアルな言葉、生々しい言葉で歌いたいものです。ありふれた言葉なんかじゃなく、僕の感性で紡ぎ出される言葉を大事にしたいのです。

 

長く書きすぎました。

「8/6という日」というテーマから僕の記憶、思想、歌に対する考え、ここまでとりとめもなく綴ってしまいました。こんなことを考えて、こうやって言葉で伝えられるからこそ、今日、8/6という日は、僕にとって特別なんだと思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

わがまま

知ってる方も知らない方もこんばんは。

今回は僕が作ってきた歌の一つを紹介しようと思います。

 

紹介される曲は『わがまま』。

僕の処女作であり、作詞作曲して以来、かれこれ3年半ほどライブで歌い続けてきた曲でもあります。それ故にこの曲を耳にしたことがある方も多いと思います。

 

正直に言いましょう。この曲が生まれたのははっきり言って「奇跡」です。もしあのとき「そろそろ大人になれよ」って言われなかったら、もしあのとき友達と行きつけのラーメン屋に行かなかったら、もしあのとき自分の声とギターの音が一致しなかったら、決して生まれなかった曲なんです。そんな奇跡的な曲なんです。

 

とまあ、今思い返してみてもこの曲の生い立ちが僕にもよく分かりません。

 

「大人の定義」とは何なのか、「僕は僕なりに欲張りに」生きているのか、未だに分かないことだらけです。

 

ただ歌い続けるにつれて、年を重ねるにつれて、自分の中でこの曲が大きくなってきているのも事実です。

 

重みを感じながら、それでもなお、あの時の「僕」が願っていたことを少しでも実現させられたらいいなぁとか思う今日この頃です。

 

よければ聴いてください。

弾き語り.ver

https://youtu.be/bkwYprtuot0

Band.ver

https://youtu.be/dRSVg6ZAkaw

二つ名について

僕を知ってる方も知らない方もこんばんは。自己紹介は前回したつもりなので今回は僕の「二つ名」についてお話ししようかと思います。

 

僕には、自称しているだけですが、二つ名があります。今は「すくい歌人」、ちょっと前までは「感受性のエゴイスト」とつけていました。

 

こういうことをしていると必ず聞かれるのが「名前の由来」や「名付けの理由」です。

ではまず、「名付けの理由」からお話ししましょう。

 

僕が二つ名をつけるのは、ひとえに「自分が歌いたいこと」を自分や他人にわかってもらうためです。バンド名に近いところがあります。「改名したってことは歌いたいことが変わったの?」なんて疑問もあるでしょうが、そんなことはありません。今でも僕の歌、特に歌詞は僕自身の固有の感受性でもって紡ぎ出しているので「感受性のエゴイスト」は踏襲された形になります。

 

「名前の由来」はいろいろあります。「感受性のエゴイスト」は私が感銘を受けた哲学者、中島義道さんが生み出した言葉です。尊敬の念から私もこの名を名乗ってみようと思ってつけました。(こういう言い方をされるのが彼は嫌いだそうです。参加されるのはまっぴらという方です。)

「すくい歌人」、これは完全オリジナルです。「僕が掬った言葉で、誰かがもし救われるのであれば、それで僕が救われる」という思いでつけた名です。

 

ただ、よくよく考えてみると、「すくい歌人」の由来はとても自己本位な理由なんですよね。綺麗事を言っているようで実はすごく汚れている、でも、ただ綺麗事を吐くよりかは全然いいなって思う自分がどこかにいます。こんなことで誰かを救えるのかよって思う自分もいます。

 

話が過ぎました。また、いつか、気が向いたら書きにきます。また、いつか、どこかで。

 

ブログとかいう書き事を始めてみました。

はじめまして、僕を知ってる方も知らない方もこんばんは。京都で歌うたいをやっています、青木幸太、二つ名を「すくい歌人」と言います。

 

こんなことを始めようと思ったのには訳があって。シンプルに僕のことを、青木幸太のことを深く知ってほしいなっていう僕のわがままです。

 

最近つくづく感じる「知ってもらう」ことの重要性。少しでも知ってもらうために、Twitterinstagramだけじゃなく、こんな、文章主体のツールからでも発信していこうと思います。

 

気が向いたらまた書きます。今日はこのぐらいで。