青木幸太/カタリヤ

他愛もない与太話を

今日、8/6という日

僕を知ってる方も知らない方もこんばんは。

今回は今日という日を、0時を回ったので今は8/7ですが、眠るまでがtodayと定義して、僕が「8/6という日」について思うことを綴ろうと思います。

 

73年前の今日、1945/08/06という日は、人類史上最悪を更新した日でしょう。世界初の原子爆弾投下。場所は広島。こんなことは誰もが知っている(と信じたい)ことです。

 

念のために言っておきますが、私の生まれは福岡県久留米市です。はっきり言って広島とは縁もゆかりもありません。

 

では、そんな僕にとって、なぜ08/06という日が特別なのでしょう。

 

あれは僕が小学校1年生の時です。08/06は夏休みの真っ只中でしたが、その日は出校日でした。僕の故郷では、08/04にお祭りを見て、08/05に花火を見て、08/06が出校日というのがお決まりでしたが、そのお決まりを初めて経験した年でした。

 

久しぶりに学校に行った当時の僕はウキウキしていたと思います。ですが、学校に着いて目にしたものは数週間前に見ていた学校とは違う学校でした。

 

壁の所々に貼られた原爆の犠牲者たちの生々しい写真を前に当時の僕は思わず足がすくんでいたと思います。あの時、1番最初に目にした写真は確か背中一面に火傷を負った郵便局員の人の写真だったと思います。

 

いつもと違う「何か」と恐怖を感じながら教室に入り、夏休みの宿題の交換をして、先生のお話をちょっと聞いた後、1本のビデオを見ました。

 

そのビデオは『おこりじぞう』でした。ラストで幼い女の子がお地蔵様の前で原爆に倒れ亡くなり、お地蔵様の優しい顔は原爆の熱で怒ったような顔になり、その顔を見た人が女の子の死を悲しんでいました。

 

この日以来、僕は出校日というのが嫌いになりました。分かっていても決して慣れることのない「恐怖」が学校にあったからです。今でも覚えているほどの強烈な恐怖です。

 

今日の朝、いつもより少し早く起きて、広島の式典を見ました。いつものことです。3年前、学生の頃はこの時期に広島原爆に際しての歌も作りました。その翌年には長崎原爆に際しての歌も書きました。

 

たまにいます。戦争をモチーフにしただけで思想のレッテル張りをしてくる人がいます。

 

別に、意に介するわけではありませんが、僕個人は戦争はしてもいいと思っている人間です。ただ、できることなら最後の手段であってほしいと思います。

 

これと似たような人で、この日を引き合いに死のうとしてる人を止めにくる人がいます。

 

確かにいました。「生きたくても生きることができなかった人」がいました。ただ、その人たちを引き合いに、苦しむ人間を生み出す権利が誰にあるのでしょう。

 

最近、僕は他人に対して、気安く「頑張れ」とか「諦めるな」とか「死ぬな」とか言えなくなってきたように思います。希望のある歌なんて尚更作れません。どこか嘘っぽく聞こえてしまうのが嫌いだからかもしれません。

 

どこまでもリアルな言葉、生々しい言葉で歌いたいものです。ありふれた言葉なんかじゃなく、僕の感性で紡ぎ出される言葉を大事にしたいのです。

 

長く書きすぎました。

「8/6という日」というテーマから僕の記憶、思想、歌に対する考え、ここまでとりとめもなく綴ってしまいました。こんなことを考えて、こうやって言葉で伝えられるからこそ、今日、8/6という日は、僕にとって特別なんだと思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。