青木幸太/カタリヤ

他愛もない与太話を

思い出話

僕を知ってる方も知らない方もこんばんは。京都でシンガーソングライターをやっている青木幸太、二つ名をすくい歌人と言います。

 

今回は、少しだけ僕の昔話でもしようかと思います。

 

音楽をやってると何かと初対面の人と話すことが多く、その中でよく尋ねられるのが「ずっと音楽やってらっしゃるんですか?」というものです。僕が音楽やってるのは正直に言えば、まだまだ5年ほどです。ライブハウスなんかでコンスタントに出演するようになったのはここ半年ほどの話です。

 

じゃそれまでは何をやっていたのかという話をすると、これがよく驚かれて、僕は長いこと(幼稚園の年長から高校3年生までなので10年ほどですかね)サッカーをやっていました。レギュラーメンバーはおろか補欠ベンチにすら入れないような弱小選手でした。中学生の頃は、あまりにも下手すぎて、後輩に馬鹿にされるなんて日常茶飯事のことでした。

 

今なら、中学生だからそんなのは「まぁよくあること」と思えるのですが、当時は意外とキツく思うところもあったし、中学校卒業したらサッカーはやらないだろうなと決めていました。はっきり言って、サッカーをすること自体が苦痛だったんだろなと思います。

 

ところが、なぜか高校でも迷った末にサッカーをすることに決め、結果も中学生の頃と似たようなものに終わりました。そうなるのも多分分かってたと思います。

 

自分にとって報われない結果になると分かっていてなぜ続けたのか、改めて考えると、今の僕に通ずるものが少し見えてくるようにも思えてきます。今の僕が、歌が好きだから歌うように、当時の僕はサッカーが好きだからサッカーやってたんだろうなと思います。結局「続ける理由」は「好きだから」ということに帰結するんだろうなと思います。

 

あとは、心のどこかで「辞めることは逃げること」という意識があったんだと思います。そして「逃げるのは弱いやつのすること、僕は弱いやつになりたくなんかない」と思っていた(今は自分に対してのみ思います。他人に対してこんなことは口が裂けても言えません。)のでなかなか辞められなかったのかもしれません。

 

好きだから続ける、弱いやつになんかなりたくない、それだけのことでここまで続けてきたのかもしれません。

 

サッカーは続けても結果出せなかったからこそ、音楽においてはなにがしかの結果を残したいと切に思う今日この頃です。日々修行、日々精進です。

 

長々とお付き合いありがとうございました。